不定期日記

TSUTAYAイベント、すごい作品が……

紹介があとさきになりましたが、昨日11日の日中にTSUTAYA札幌琴似店で実施した絵本作り体験の報告もしましょう!
 
昨日の参加者は3名。先に言ってしまえば、この人たち、すんばらしい「少数精鋭部隊」でありました。

【業務連絡:中島さん、ありがとう!また一緒にコウモリさかさま絵本作ろうねー🦇]
 
まず、小学低学年(中学年?)の女の子。
 
あれこれ「どうしようかな、こうしようかな」と思いと工夫を重ねながら、写真やことばと格闘しています。アイデアが頭の中でいろいろ溢れてくる様子。
 
概ね絵本の本筋が出来上がり、いよいよ仕上げの段階に入ってからも、どんどんアイデアが溢れ出してきます。ちょっとぼくが「ねえ、これって、カタツムリが何をしてるところなの?」と聞くと、彼女の目がキラッと輝き、「あ!そうそう!これはね、じつはこういうことなの。カタツムリがね……」と物語をふくらませます。
 
そして最後には、そのふくらんだ想像力をちゃんと一つの幸せな結末、「森のパーティー」という大団円に見事に集約させていきました。
 
次に、彼女と同級生の男の子。
 
彼は、逆に、人の意見は一切求めず、とにかく一人黙々と作品作りに向き合っていました。でも決して他者に対して自己を完全に閉ざしているわけではありません。友達やぼくとくだらないおしゃべりなどをしながら、です。
 
すごい集中力。じつに軽やかな集中力。
 
で、できた作品もすごかった。様々な虫たちの写真を用いて彼が描いたテーマは「食」「性」「繁殖」。ザ・科学絵本。生命の本質。
 
羽化したばかりのセミの写真では「これから羽をかわかす」ということだけではなく、その後に「交尾をする」ことまでを明記。
 
(じつは彼、イベント冒頭でぼくが「この写真に写っているもの、なーんだ!?」と問うた何気ない質問に対し、写真を一瞥しただけで「身体がまだ白いから、羽化した直後の、エゾハルゼミの〈オス〉。」と、ずばり。なるほど…なるほど…)
 
そしてページをめくると、一匹のカタツムリの写真に「雄か雌か、まだきまっていない」と。カタツムリが雌雄同体の生物であることを明示し、そのあとに「だれか相手がいないとならない」と。(実際はカタツムリは自家受精もできるみたいですけど)
 
そして、次の最終見開きは、ブナの実生の芽吹き(ブナの木の赤ちゃん)の写真に、「こどもをつくる」と一言。
 
おどろきでした。
 
そしてもう一人、最年少の未就学の男の子。
 
作り始めてしばらくして、「字(ひらがな)がうまく書けない……間違いがうまく修正できない……」と泣きべそをかきはじめ、お父さんと一緒に一時現場を離脱。大丈夫かなぁ……。
 
いや、大体ね、大丈夫なんだ、こういう場合。
 
しばらくのちに泣き止んで帰ってきた彼。そこからは一転、最後の最後まで、彼が一番粘り強く作品の「完璧性」を追求していました(つまり、泣きべそかいたというのはまさに彼の完璧主義の表れなのですね)。
 
予定の催事終了時刻をとうに過ぎ、ぼくが彼に「あのぉ……ぼく、次の仕事に行かにゃならんので、そろそろ発表会してお開きにしたいのですけど……」と伝えると、彼は自分の作品を胸にきゅっと抱いて、「まだ、だめ」。
 
曰く、最後のページに「カタツムリが寝ているところの絵」を描き終わってないから、断じて発表などできません、と。
 
おお–––。彼のこの小さな身体のいったいどこに、これほどの力強い意志の力が宿っているのか–––
  
その後、ちらちら時計を気にするぼくを横目に😅、彼は、カタツムリがある場所に安住の地を得てそこでスヤスヤと寝ているシーンを描き終え、さらに、物語に流れる「時」を、シンメトリー構造にしつらえた表紙と裏表紙で見事に表現し、作品を完成させました。
 
・・・・・・・・・・・・
 
何度でも言います。子どもって、すごい! いや、人間ってすごい!
 
(ちなみにこの子どもたちは3人とも、札幌市内のとある「森のようちえん」の在・卒園児だそうです。むべなるかな、むべなるかな。全国津々浦々の「森のようちえん」に関わる皆さん。たった3人の子どもたちとのふれあいですが、ぼくは今日、「ああ、森のようちえんは、しっかり人間を育ててる!」って思いましたよ。みなさんへの敬意とともに。)
 
いや、ほんと、われわれ大人もときどきは、子どもの頃から個々に備わっているその“すごさ”を、「常識」や「自己抑制」の覆いをヒラリと取っ払って、どばっと晒したほうがいいかもしれません。
 
よく実態の分からないものに変な「忖度」して、「表現の不自由」に自ら浸るに任せている場合じゃぁ、ないゼ!👍
  
すみません。興奮して、また鼻息の荒い長文の報告になってしまいました。以上です。